前回記事はこちら。
宗教自体を否定するわけではないが、中世におけるキリスト教は、はっきり言って相当イケてない。
なぜかというと、『多様性』を全く許容しないからです。
古代ローマは多神教でした。
・始まりと終わりの神ヤヌス
・贖罪の神フェブルウス
・軍神マルス
といった様々な神を崇拝していました。
(それぞれ、1月January、2月February、3月Marchの語源となっています)
キリスト教は一神教。
特にこの時代はかなり排他的で、イスラム教を敵視するのはもちろん、古代ギリシャ・ローマ時代の書物を読むこともできませんでした。
アリストテレスの書を始め、多くの書物は燃やされました。
多様性
さて、フリードリッヒの話に戻りますが、彼は多様性を重んじた皇帝です。
フリードリッヒが統治していたシチリアがそれを象徴しています。
キリスト教とイスラム教という一神教同士が敵視し合っていた中世、このシチリアが奇跡とさえ言われていたのは、パレルモとその周辺にある教会を見てまわるだけで納得するだろう。カトリックのキリスト教徒の王が依頼した聖者のテーマをギリシア正教徒のギリシア人がモザイクに作り、壁面や床を飾る多色の敷石は、アラブ人が作りあげた教会。
フリードリッヒもキリスト教国家のローマ皇帝であるので、十字軍に行くことになります。
ただ、過去の十字軍は5回やって全て失敗。
(1回目はエルサレムの奪還に成功しますが、すぐにイスラム圏に奪い返されています)
そこで、フリードリッヒはやり方を変えます。
イスラムのスルタン(皇帝)と交渉することを選びます。
これが見事成功。
エルサレムの一部に、キリスト教信者が駐屯することを認めさせました。
フリードリッヒもさることながら、当時のスルタン「サラディン」も、多様性を許容する聡明な方でした。
しかし、これにローマ法王は激怒。交渉じゃなくて戦って取り戻せ!と。
いやいや、今まで戦ってダメだったんだから、交渉でいいじゃんと思うんですけどね。
頭の硬い人というのは本当に迷惑。歴史を退化させてしまいます。
ちなみに、ヨーロッパにアリストテレスを戻したのもフリードリッヒ。
アリストテレスの書物は、バグダードの「知恵の館」でアラブ語に翻訳されて遺っていました。
フリードリッヒはこれを取り寄せ、イタリア語に翻訳させます。
歴史には幾度かこういった「思想の弾圧」が起こっています。
ある宗教や考え方に傾倒するのは構いませんが、他者を排除するのはやめて頂きたいですね。
思想は自由であり、意見が違えば議論するべきです。
この後、皇帝フリードリッヒVSローマ法王の対立は激化していきます。
フリードリッヒはあらゆる手段で法王の無茶ぶりを回避し、有利に政治を進めます。
しかし、天才でも失敗はするもの。
運命の女神は、嫉妬深いことでも知られているのだった。
次回は、天才が犯した失敗と、それにどう対処したか見ていきます。
本作は上下巻存在し、ハードカバーの重たい本です。
Kindleをお持ちの方はKindle版で読むことをおすすめします。
まだ塩野七生さんの本を一度も読んだことがない方は、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』がおすすめです。
他の作品に比べて分量は多くないので、この一冊から入るとよいでしょう。