前回記事(書評③)はこちら。
裁判長としての皇帝フリードリッヒ二世
連日ニュースで、日産の元CEO「カルロス・ゴーン」氏のことが報道されています。
裁判はまだ始まっていないにも関わらず、拘留108日。これでも短いほうで、籠池氏は拘留300日でした。
この後裁判が始まり、すべてが終わるのは一体何年後なんでしょうか。
さて、話を皇帝フリードリッヒ二世に戻しますが、彼は裁判長でもありました。当時は皇帝が判決を下すのがしきたりです。
(フリードリッヒが定めた法律には)告訴されてから一年以内に結果を出す、と定めた箇所である。裁判は公正に成されるべきだが、それが何年もかかったのでは、原告・被告ともに受ける損害が大きくなり、それによって、法の目指す「公正」さえも保証できなくなるからであった。
ほんとその通りで、現代の裁判はなんであんなに時間がかかるのだろうと思う。
時間をかけて慎重に検討すべきなのはわかりますが、裁判に5年とかかける必要あるの?と思うのは私だけでしょうか。
フリードリッヒの時代のほうが進んでいたとさえ思います。
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皇帝フリードリッヒ二世が遺したもの
フリードリッヒに与えられた時間がもっとあれば、より多くの業績を遺したのではないかと思います。
しかし、誰にでも死は平等です。
フリードリッヒは子だくさんでしたので、死後は彼らが跡を継ぎます。
しかし残念ながら、天才から生まれた子が天才とは限りません。
法王の執拗な弾圧もあり、フリードリッヒの子達は相次いで死んでしまいます。
非凡な父を持つのは、子にとっては不幸でもある。父の命ずるとおりにやっていれば常に上手く行くのだから、自分の考えでやってみたいと思う必要さえも感じなかったのかもしれない。
血を残すことはできなかったものの、フリードリッヒが遺したものは数多くあります。
有名なのは現在のナポリ大学。
正式名称は「フェデリコ2世・ナポリ大学」。フェデリコはフリードリッヒのイタリア語読みです。
これまで何人の生徒がここで勉強し、巣立って行ったでしょうか。
現代に至るまで、多くの学ぶ機会を提供してくれました。
皇帝フリードリッヒ二世の死
死後のフリードリッヒは「ストゥポール・ムンディ」(世界の驚異)というアダ名がつきます。
その思考力と行動力は、確かに驚異的と言わざるを得ないかもしれません。
イタリア、フィレンツェの「カステル・フィオレンティーノ」という小高い丘に、フリードリッヒを記念する石碑が建っています。
小高い丘の上に立つフリードリッヒ終焉の地は、それこそ鷹が飛び立って行くには最適の地であった。そして、飛び立っていく鷹にとっては、勝者か敗者かなどということは、関係なくなっているのではないか。生ききった、と言える人間にとって、勝者も敗者も関係なくなるのに似て。
鷹の皇帝フリードリッヒ二世。
彼は後世の人から「生ききった」と称される人物でした。
本作は上下巻存在し、ハードカバーの重たい本です。
Kindleをお持ちの方はKindle版で読むことをおすすめします。
まだ塩野七生さんの本を一度も読んだことがない方は、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』がおすすめです。
他の作品に比べて分量は多くないので、この一冊から入るとよいでしょう。