ヤマピーブラックです。札幌出身ですが、寒さに弱いです。北国の人は寒さに強いというのは偏見ですね。
さて、最近話題になっている「教養」の本があるのですが、個人的に少し違和感を感じました。
その本はこちらの本です。
本屋に行った時にこの本が目に留まり、立ち読みしたのですが、購入しませんでした。
そこで感じた違和感と、「教養とは何か」ということを再度考えてみたいと思います。
違和感
上記で紹介した、『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』という本ですが、1ページに1つトピックがあり、その概要が書かれているという構成です。
例えば、あるページには『アレクサンドロス大王』について書かれており、その次のページには『失楽園』(文学)が書かれているといった具合です。
ただ、私が感じた率直な感想は、これで身につくのは「ウンチク」「トリビア」といったたぐいのものであり、本物の教養は身につかないのでは?というものでした。
浅く広い知識しか身につかないのでは?と言い換えてもいいです。
もちろんそれでも構わないというのであればよいですが、それは果たして本当に教養があると言えるのでしょうか。
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教養とは何か?
ではそもそも、教養とは何なのでしょうか?
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』で有名な山口周さんは、教養(リベラルアーツ)も意義を以下のように述べています。
リベラルアーツはまた、専門領域の分断化が進む現代社会の中で、それらの領域をつないて全体性を回復させるための武器ともなります。
山口周『独学の技法』
また、ビジネス界の寵児である堀江貴文さんは以下のように述べています。
教養とは、表面的な知識やノウハウとは違い、時代が変化しても変わらない本質的なことを言う。
堀江貴文『多動力』
定義は様々だと思いますが、私は「物事の本質を捉えること」だと考えています。
教養を身につけるためには、まずある事柄について、その背景や成り立ち、それが生まれた理由や、それが存在し続ける理由を突き止める必要があります。
そうしてある事柄の「本質」を理解するわけです。
そして、別の新しい事柄を理解する際に、その本質は実は他の事柄の本質と同じなのではないか?という仮説を立てながら理解します。こうして物事を類似点と相違点に分けて理解するわけです。
こうすることで、教養がない人は一つ一つの事柄を全く新しい事柄として理解してしまいますが、教養がある人はそうではなくなります。
この定義に当てはめてみると、広く浅い知識というのは不要であると思います。それよりも、自分が少しでも興味ある分野に絞り、それに関する本をひたすら読んだほうがよいでしょう。
まあ『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』をひとつのきっかけにするのであれば良いですが、全ページ読んでいる暇があれば、分野を絞って深く理解した方が良いのではないでしょうか。
▼教養と「教養主義の罠」について書いてあるのでオススメです▼
▼堀江貴文さんは教養があるのか?と思われがちですが、逆に教養がある、ないってなんだろうと考えるキッカケになると思います▼
▼教養を身につけるなら「古典」がオススメです▼